7/16(日) 鳥取県米子市で行われた「第41回全日本トライアスロン皆生大会(皆生トライアスロン大会)」にマイティトライアスロンから6名の選手が参加しました。
皆生トライアスロン大会ってこんな大会
皆生トライアスロン大会は鳥取県米子市皆生温泉をスタートに行われるトライアスロン大会です。1981年に第1回大会が開催され、コロナ禍での開催中止等も経て、41回目の開催となっています。
長い歴史を持つ大会で、日本のトライアスロン発祥とされています。
昨年までコロナによる中止や気象条件によるデュアスロンへの変更などがあり、41回目の今大会は4年ぶりに通常の距離(フルディスタンス)での開催となりました。
スイムは米子温泉海岸で行われる3km、バイクは皆生温泉から大山の登りを含む140km、ランは海岸線を境港まで走り折り返す40kmの全長183kmからなるロングディスタンスのレースとなります。
真夏の暑さや、「ジェットコースター」と呼ばれるアップダウンの激しいバイクコースで知られています。
そんな皆生トライアスロンに、選手として大将、マエダ、真ちゃん、きえちゃん、BJ、私ウィルの6名、応援&サポートでBuzzさんが参加しました。
大会準備
大将以外のメンバーにとっては初のロングディスタンスの大会。昨年末には皆生トライアスロンに出ることを目指して話を進めてきました。
昨年末にはすでに宿を予約しだす皆さんを尻目に、なんとなく踏ん切りがつかずにくすぶっていた私。
マエダさんに至っては大会後の打ち上げの場所を探し出しており、大きく遅れをとっていました。
第一回皆生会と名付けられた会合(飲み会)が開催されましたが、新年会感覚で参加していました。
仕事の合間を縫って綿密に皆生に標準を合わせていた真ちゃんやきえちゃん、今年のアイアンマン出場の準備のために皆生参加を決めたBJ、
ロング10回目の記念すべき節目の大会にトライアスロン発祥の地皆生大会を選んだ大将・・
皆さんそれぞれに思いを持って皆生大会に臨んでいるんだなと知る一方、あまり乗り切っていない自分もいました。
それでも、大将からお借りしたロング大会のDVDを見て、少しずつ皆生への気持ちが高まってきました。
天才てれび君で見ていたリサステッグマイヤーさんがトライアスリートだと知ったのもこの時期です。
その後も第二回皆生会(飲み会)、第三回皆生会(飲み会)と会を重ね、このメンバーで参加して、みんなでゴールすると楽しいだろうなーと気持ちが高まって来ておりました。
大会直前-米子入り-
いよいよ大会直前の金曜日、まず先発隊として、真ちゃん、きえちゃんが車で出発。700kmを超える長距離運転です。
途中SAのハイウェイホテルが空席なしというトラブルに見舞われ、結局ぶっ続けでの運転となり、翌日未明に米子入りとなりました。
Buzzさん、BJさんは金曜日の米子入り。
BJのバイクがメカトラブルに見舞われるも、Bazzさんの脅威の対応力によりコーナンの資材で何とかリカバリー。
マエダさん、大将、私は土曜日朝の米子入り。空港ではしゃぎすぎ、電車を乗り過ごすというトラブルに遭遇します。
ぶっ続けのドライブでお疲れの真ちゃんに迎えに来てもらうという大失態を犯してしまいました。
その後開会式、補給食のおにぎりの準備をし本番を待つばかりになりました。
大会当日
大会当日の7/16はいいすぎるぐらいいい天気。最高気温は36度の予報で、過酷なレースになることが予想されました。
ここまでくると、緊張を通りこし、無の境地に至ります。
入水チェックを済ませ、いよいよスタート!
500名ずつの2ウェーブに分かれたスタートです。コロナ禍にトライアスロンを始めた私にとっては初めて経験するほぼ一斉のスタート。
多少の接触などはありますが、運営の皆さんの事前の声がけにより大きなバトルには遭遇せずにスタートできました。
海は穏やか。抜群の透明度。水温もちょうどよく、マエダさんはノーウェットでのスイムでした。
そして全員が無事スイムアップし、バイクへと向かいます。
当日は風が強く、大山に向かう河川敷からすでに向かい風で非常に厳しい展開になりました。
私はなぜか坂で頑張りすぎてしまう癖があるのでなるべく力を温存して行きたかったのですが、皆生名物「ジェットコースター」にやられてしまい、足をつってしまいました。
途中何度も立ち止まりストレッチをする羽目に。
マエダさんはバイクで痛恨のコースミス。大山の登りを2回登ることになってしまいました。
大将も足が攣りかけながらダンシングでだましだましバイクをこなしました。
真ちゃんはまさかのメカトラでリアがアウター固定状態に。重いギアのままバイク終了まで回さざるを得ない状態に。
一方きえちゃんは比較的調子が良かったらしく、補給のおにぎりを走りながら食べる練習をやってみるという余裕も見せます。
webニュースにも掲載されるレベルの調子の良さでした。
https://www.nnn.co.jp/articles/-/93391
何とかかんとかバイクも全員無事フィニッシュ。ランに入ります。
炎天下の中のランとなりましたが、ロング10回目の大将はさすがの走り。後半涼しくなってくるとさらにペースアップをしてゴールを目指します。
12時間を切るタイムで大将無事ゴール!出場したロングの中でも1番きつかったとおっしゃっていましたがさすがの走りです・・・
その後おそらく皆生トライアスロンを一番長い距離楽しんだマエダさんもゴール!
私はランに入っても足が攣った状態のままでした。途中棄権を考えましたが、すれ違いに真ちゃんが教えてくれたウルトラマラソンの走り方のコツを聞き何とか競技をつづけました。
すれ違いざまに大将にかけてもらった「マイペースでいいから前に」という言葉を信じて何とか歩みを進めました。結果的に制限時間20分前に何とかゴール。
真ちゃんは途中熱中症の症状が出ながらも休み休み走り続けていました。
真ちゃんの後ろから追い上げてきたきえちゃんと合流。二人で走り続けますが、ゴール前5キロ関門、まさかの1秒足らずでDNFとなってしまいました。
そしてフィニッシュエリアでは制限時間5分前のコール。最終関門を通過したBJがフィニッシュに向かっていました。ぎりぎりのゴールを願ってマエダさん、大将さんと待ってましたが
非情にもフィニッシュのゲートが閉じられてしまいました。残り300mでのDNFとなりました。
一夜明け、リザルトを見ると932名出走、完走626名、完走率67.1%と非常に厳しい皆生トライアスロン大会となっていたようです。
気温は13時に36.1度を記録していました。
ゴール後、私は過去に無いぐらいワンワン泣きました。それは達成感というより、先にゴールをしていた大将やマエダさんの姿を見た安心感からでした。
フェンス越しにBJを見たとき、そして回収車でフィニッシュエリアに来た真ちゃん、きえちゃんを見たときもまたワンワン泣きました。これは悔しさからでした。
半年以上みんなでああだこうだ言いながら準備を進めてきて、みんなでゴールするものという想像だけしかありませんでした。
絶対もらえると思っていたおもちゃがもらえなくて泣く子供に近い感情かもしれません。聞き分けが良い子だっただけに自分でもすごくびっくりしました。
結果としては厳しいものでしたし、まだまだ思い出してもちょっと涙がちょちょぎれますが、その分とても濃い、楽しい時間を過ごせました。
最後に、炎天下の中大会を運営いただいたボランティア、TO、関係者、沿道の応援の方々には本当にお世話になりました!
すごく力をもらいました!
今はまた出たい!といえるレベルに回復はしていませんがまたみんなで皆生にいけることちょっと想像しています。